おいしいものは、食べてみないとわからない まずいものもおなじ
はじめた肉屋が、思ったよりも繁盛してくれたおかげで、
クリスマス用のターキーや、正月用のチャーシューの仕込みをしているうちに、とっぷりと日が暮れてしまった。
クリスマス用のターキーや、正月用のチャーシューの仕込みをしているうちに、とっぷりと日が暮れてしまった。
ぼくはチャーシューを漬け込んだ鍋の火を止めて、店を閉めた。
パドマのいる魔法陣に戻るためだ。
別に急ぐことはなかったのだけど、このところずっと、ぼくが作った料理をパドマと一緒に食べていたものだから、なんとなく足が急いだ。
急がなくても、ぼくが料理を作らなくても、パドマの世界には糧が溢れている。
ちょっと鼻を鳴らせば、ごちそうが入ってくる。おそらく、ある程度は自分でえり好みをして、そのごちそうを食べているだろう。
だから、本当はぼくが料理をする必要はない。
一番近くの魔方陣に行き、昼間野営をすると決めた平原までザクザクと歩いていく。
その途中で、何かクリスマスっぽい手土産を買ってくるんだったと気がついた。
店のターキーやトリモモは全て出てしまったし、ケーキだってもう売り切れてしまっただろう。
大体にしてパドマがクリスマスなんて知っているはずがない。
いや、知っていたとしても、パドマにとっての興味の対象とはなり得ないだろう。
かしこいぼくは、ひきかえすことをやめた。
ぼくにとってだって、そのクリスマスっていうのは、単なる年末商戦の一部に過ぎない。
一つだけ面白いなと思うのは、向こうは偉人の「誕生日」をお祝いして、ぼくの国は偉人の「命日」を偲ぶのだなあ、ということだけだ。
パチ、と焚き火がせきをする音がする。
パドマと一緒にいるせいで、鼻をくん、とやることが少なくなってしまったけど(鼻を鳴らしたら、「なにを、アキにはわからないだろ」なんて思われそうじゃないか)、近づく暖かさと灯りにひとつ鼻をすすって、その方へそうっと歩く。
すこし遠くに、ぽつりと見える。
わずかに暖を取れそうな、主張の弱い焚き火を、大木に寄りかかったパドマが護っている。
パドマの目は閉じられているみたいだった。
パドマが眠るほど、遅い時間だということだ。
ぼくは、だいたいいつも眠いから、常人が眠る時間というのが、体感ではよくわからない。
パドマは本当の意味でぼくを待っていたわけではないんだけど
(たぶんぼくが朝まで戻らなかったら、パドマはさっさとぼくを置いて出発しているだろう、ぼくもたぶんそうする。少しは探すだろうけど、ぼくは。ただ、諦めるのは早いだろう)、
ぼくも人間なので、待たせてしまったと感じて申し訳なく思った。
草を踏んで焚き火に近づくと、早い段階でパドマが目を開けた。
ぼくは、かまわずに、歩く速度を落とさず上げずに焚き火に近づく。
パドマのガラス玉のような、潤いの無い、けれども鈍く輝く瞳がぼくを見ている。今にも襲い掛かられそうだと思った。
彫刻と目が合った時に感じる、あの一瞬感じる不安と同じだ。
「遅かったな」
「ごめん、料理作るの間に合わなかった」
パドマはある程度の社会常識をわきまえている。
「気にする必要はない」
そもそも要らん、という言葉まで言わなくてもいい、そういうことをパドマは知っているようだった。
それは長く生きた経験の賜物であって、「これを言うと相手が悲しみ、それが自分にとってひどく面倒くさいので言わないでおこう」という思考がなされるための言葉だとぼくは思っている。
パドマの性格的な、たとえば「相手を気遣う優しさ」から来る言葉の選びではない。
ぼくも大抵はおんなじ思考回路をしているけど、言葉がその回路を通らない時がある(思ったことがポンと口から飛び出してしまう、まったく困ったものだと思う)ので、こういうときパドマはえらいなと思う。
ぼくも、「これ以上謝るのも無意味だし面倒」という思考回路のもと、さっさと自分の毛布に包まって眠ることにした。
探索以外の、久々の仕事の疲れが気持ち良い。
そうとも、ぼくの体を、とくに両腕を震わすこの痺れがなければ、不安で熟睡できやしない。
いや、熟睡はするけど。
でもやっぱり、ぼくは人間として生まれたので、人間的な優しさというものを、多少なりともパドマよりは持ち合わせている。
ぼくの体から昇る、香ばしいチキンの皮、ターキーの中のハーブ、露店のケーキ屋の匂い、子供が落としたクッキー、モミの木の若い香り、雪の乾いた音、そういったクリスマスの匂いが、パドマにどうか嗅ぎ取ってもらえるよう。
それを夕飯の代わりだとは言えないけど。
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