おいしいものは、食べてみないとわからない まずいものもおなじ
アリーが島からいなくなったらしい。
アリーとは、右目に鈍いグレーの瞳をもち、綺麗なレモン色の艶をした髪を結った、背が低いスーツ姿の人のことだ。
性別は、わからない、としておく。
ぼくから見たら、どうみても女の子にしか見えなかったけど、それを本人に言ったら「中性的に見て欲しい」みたいなことを言ってきたので、ぼくはそうするように努めている。
アリーとは、右目に鈍いグレーの瞳をもち、綺麗なレモン色の艶をした髪を結った、背が低いスーツ姿の人のことだ。
性別は、わからない、としておく。
ぼくから見たら、どうみても女の子にしか見えなかったけど、それを本人に言ったら「中性的に見て欲しい」みたいなことを言ってきたので、ぼくはそうするように努めている。
いなくなったらしい、というのは、ぼくがアリーが船に乗るところをみたとか、
アリーから「どこかに行く」と告げられたとか、とにかくそういった確証が持てる情報を、ぼくが得ていないから。
ぼくは、ただ、知らない男性から「アリーは島を出た」とだけ言われ、
渡された通信機の向こうからする、「アリーの声をした人物」から、「島の外にいる」と聞いただけだ。
通信機とか、電話とか、手紙とか、そういった間接的なものはぼくは嫌いだ。それが本当だなんてどうやって信じれば良いのか。
それは、通信機や電話に喋っている相手を直接見なければいけないと思う。
手紙を書く姿を直接見なければならないと思う。
それなら、ぼくは、直接会いたい。
直接会って、顔を見て、瞳をあわせて、息遣いや声を感じ、場所や空気、時間などの様々なものを共有しながら、言葉を交わしたい。
いや、これはなんだか違う気がする。ぼくがそういったものを嫌う理由は別にある気がする―…。
とにかく、嫌いなものでも、逃げられないものはあって、ぼくはアリーらしき人物とその通信機で言葉を交わさなきゃならなかったし、
同時にアリーを捕まえることもできなくなってしまった。
ぼくは、この世に好きなことが少ないっていうことはわかっていたので、まあガマンして話せたんじゃないかと思う。
観測者っていったい何だ?
アリーは、観測者、を仕事としているそうで、アリーが言うには、
アリーには「全てが見える」んだそうだ。
ぼくと初めて会ったとき、アリーがぼくに「人を食べる趣味があるようで…」と何の臆面もなく言った。
それは全くの間違いであるけれど、弁解しようがなかった。
(ぼくが人を食べることについて、たっぷりと話し込んでやることはできない。趣味、と罵られ、蔑まれることがあっても)
はたして、初対面の人間に、そんな突拍子のないことを、思いつきだとしても、言えるだろうか?
やはり、アリーには、ぼくの仕業が見えるのだろうか?
ぼくは、信じることが苦手だ。嫌いではない、ということは、ぼくにとってとても重要だ。
アリーは「見えるが、理解はできない」とも言った。そして、それを「何が見えるか言うことはできない」とも。
つまり、「ぼくが人を殺して、綺麗に料理して食べていること」は見えても、その理由とか、ぼくがどれだけ人を愛しているかや、ぼくなりのこだわりや、そのときのぼくの気持ちなんかやらはわからないって意味だと思う。
ただ、このことを、容易く信じて良いものだろうか?
これを信じることは、つまり、ぼくにとって、ぼくの仕事の目撃者がこの世に存在するということになり、アリーの口を閉じなければならないことになる。
もしぼくが信じない場合も、本当にぼくの仕事がアリーに見えていたとしたら、目撃者を野放しにすることになり、ぼくの身が危うくなるかもしれない。
そして本当に、ぼくに見たものを誰かに伝えることができない、のであれば、始末する必要はない。
ぼくはどうするべきだろうか?
アリーの始末について考えあぐねているところで、アリーが失踪してしまった。
こんなことなら、もっと早くに食べてあげればよかった。
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