おいしいものは、食べてみないとわからない まずいものもおなじ
遺跡外の賑わいは相当で、それは店が増えたんでなく、ぼくらと同じような探索者が、ぼくらと同じように遺跡から戻ってきたかららしい。
ぼくは人の多さにも驚いたけれど、それよりも、あちらこちらから聞こえる「バレンタインデー」が気になって仕方なかった。
前もってセラから聞いていたとはいえ、日本と同じように、チョコレートを女性から男性に贈るところまで一緒だと、なんだか少し居心地が悪かった。
ぼくは人の多さにも驚いたけれど、それよりも、あちらこちらから聞こえる「バレンタインデー」が気になって仕方なかった。
前もってセラから聞いていたとはいえ、日本と同じように、チョコレートを女性から男性に贈るところまで一緒だと、なんだか少し居心地が悪かった。
ぼくだって、チョコレートをもらったことは何度かある。
ぼくが小学校、中学に渋々通っていた頃にいくつか。
最近は店の常連のおばさん方からもらうばかりだけど、これは他意がないので気持ちが良い。くれるチョコは高そうなものばかりだし。
2/14の憂鬱といったらなかった。学校中の男子がそわそわして、どこか浮き足立つ。気にしないそぶりをして、お互いを、それこそ女性を見るような目で見る。
そんな居心地の悪い空気の中、ぼくの下駄箱をあけるとチョコが入っていたりする。
はじめてそんなことが起こった日、ぼくはどうしていいかわからず、その頼りない包みを見つめていたら、
調子の良いクラスメイトに早速見つかり「佐倉がチョコもらってんぞ!」とからかわれ(男どものこういうところがぼくは我慢ならない)、非常に面倒臭い思いをしてからは、下駄箱にチョコを見つけたら、そんなものないかのように扉を閉め、帰るまでそのままにするようにしていた。
ぼくは部活もせずにすぐに家に帰っていたので、比較的人に見られずに、チョコを持ち帰ることができた。
そもそも、ぼくは、チョコを下駄箱に忍ばせる真意が理解できない。
よくも贈り物を、それも食べ物を、履き物を入れておく場所に置くことができるなと思う。
ぼくの認識が間違いでないなら、バレンタインのチョコっていうものは、少なからず特別な人に渡すものであり、粗末にするものではないはずだ。
机の中に入っている場合もあって、それはまだマシに思えた。
でもやっぱり、ぼくからすれば、それらはぼくの日常を脅かす、姿の見えない敵が仕掛けた地雷に他ならない。
対処を間違えば、ぼくの平和な毎日が粉々になってしまう。
それに、ぼくはそういう関節攻撃を受けたことはあれど、実際に女の子から直接手渡されたことはない。
放課後に呼び出され、もじもじした愛の告白と共にチョコが渡されることは、終ぞなかった。
下駄箱や机の中なんかより、直接渡してくれた方が靡くに決まっているのに、女の子とはよくわからない。
チョコをくれる女の子の名前は聞いたことがあったけど、毎回どうしても顔が思い出せないので、ぼくはお返しもしたことがない。
下駄箱に名前を書く時代は終わっていたので、仕返しに彼女らの下駄箱に揚げたてのコロッケをぶち込んでやる計画も思いつきで終わった。
(今思うと、ぼくは彼女が直接渡しにきてくれるのを待っていたのだな、今となっては名前も思い出せない)
ただ、そんな日でも唯一の救いがあって、それは篠崎有紀が毎年用意してくる義理チョコだ。
それは見紛うことなくチロルチョコで、クラス中男女かまわずバラまかれる。
この義理チョコと篠崎の垢抜けた声に、どれだけの男子が救われたか。
あのねばねばした空気はからりと晴れるし、あぁ今日はバレンタインか、とか抜けぬけと言えもするし、おまけにチョコ0個も免れる。
ぼくは篠崎の短いおかっぱみたいなボブが揺れるのや、にきびを気にする仕草や、眉毛のうえのほくろが好きで、つまるところ篠崎が好きだった。
篠崎が「佐倉」と呼んで、ぼくにチョコを放る。ぼくは危なげなくそれを受け取って、いちばんの笑顔で「ありがとう」と言う。
少しでもぼくに靡きやしないかと思いながら。
このあと放課後、ぼくを呼び出してはくれないだろうかと思いながら。
その手いっぱいのチロルチョコを用意して、待ってるんじゃないかって。
もちろんそんなことはないのは判っている。篠崎は高校生とつき合っているのは有名な話だったから。
篠崎は中学最後のホワイトデーを前に、学校から姿を消した。
ぼくは、彼女より甘いチョコレートを食べたことがない。
ぼくが小学校、中学に渋々通っていた頃にいくつか。
最近は店の常連のおばさん方からもらうばかりだけど、これは他意がないので気持ちが良い。くれるチョコは高そうなものばかりだし。
2/14の憂鬱といったらなかった。学校中の男子がそわそわして、どこか浮き足立つ。気にしないそぶりをして、お互いを、それこそ女性を見るような目で見る。
そんな居心地の悪い空気の中、ぼくの下駄箱をあけるとチョコが入っていたりする。
はじめてそんなことが起こった日、ぼくはどうしていいかわからず、その頼りない包みを見つめていたら、
調子の良いクラスメイトに早速見つかり「佐倉がチョコもらってんぞ!」とからかわれ(男どものこういうところがぼくは我慢ならない)、非常に面倒臭い思いをしてからは、下駄箱にチョコを見つけたら、そんなものないかのように扉を閉め、帰るまでそのままにするようにしていた。
ぼくは部活もせずにすぐに家に帰っていたので、比較的人に見られずに、チョコを持ち帰ることができた。
そもそも、ぼくは、チョコを下駄箱に忍ばせる真意が理解できない。
よくも贈り物を、それも食べ物を、履き物を入れておく場所に置くことができるなと思う。
ぼくの認識が間違いでないなら、バレンタインのチョコっていうものは、少なからず特別な人に渡すものであり、粗末にするものではないはずだ。
机の中に入っている場合もあって、それはまだマシに思えた。
でもやっぱり、ぼくからすれば、それらはぼくの日常を脅かす、姿の見えない敵が仕掛けた地雷に他ならない。
対処を間違えば、ぼくの平和な毎日が粉々になってしまう。
それに、ぼくはそういう関節攻撃を受けたことはあれど、実際に女の子から直接手渡されたことはない。
放課後に呼び出され、もじもじした愛の告白と共にチョコが渡されることは、終ぞなかった。
下駄箱や机の中なんかより、直接渡してくれた方が靡くに決まっているのに、女の子とはよくわからない。
チョコをくれる女の子の名前は聞いたことがあったけど、毎回どうしても顔が思い出せないので、ぼくはお返しもしたことがない。
下駄箱に名前を書く時代は終わっていたので、仕返しに彼女らの下駄箱に揚げたてのコロッケをぶち込んでやる計画も思いつきで終わった。
(今思うと、ぼくは彼女が直接渡しにきてくれるのを待っていたのだな、今となっては名前も思い出せない)
ただ、そんな日でも唯一の救いがあって、それは篠崎有紀が毎年用意してくる義理チョコだ。
それは見紛うことなくチロルチョコで、クラス中男女かまわずバラまかれる。
この義理チョコと篠崎の垢抜けた声に、どれだけの男子が救われたか。
あのねばねばした空気はからりと晴れるし、あぁ今日はバレンタインか、とか抜けぬけと言えもするし、おまけにチョコ0個も免れる。
ぼくは篠崎の短いおかっぱみたいなボブが揺れるのや、にきびを気にする仕草や、眉毛のうえのほくろが好きで、つまるところ篠崎が好きだった。
篠崎が「佐倉」と呼んで、ぼくにチョコを放る。ぼくは危なげなくそれを受け取って、いちばんの笑顔で「ありがとう」と言う。
少しでもぼくに靡きやしないかと思いながら。
このあと放課後、ぼくを呼び出してはくれないだろうかと思いながら。
その手いっぱいのチロルチョコを用意して、待ってるんじゃないかって。
もちろんそんなことはないのは判っている。篠崎は高校生とつき合っているのは有名な話だったから。
篠崎は中学最後のホワイトデーを前に、学校から姿を消した。
ぼくは、彼女より甘いチョコレートを食べたことがない。
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